嫌いな人にこそ、気を遣うべきだと気づきました。

   

こんにちは、ぴーすけです。

寝起きは大体、イライラしてるかたまに、何かを悟ったようにひらめくときと二種類あります。

今日は、ひらめいた日でした。



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嫌いな人にこそ、気を遣うべき。

めんどくさいことを避けるために、嫌いな人にこそ気遣いをするべきだな。ということ。

私は、これまでの28年間、自分を貫き通して生きてきました。

嫌いな人は、嫌いだし、私は私。

嫌いな人に合わせて何になるの?って思ってました。

でも、世の中には、いろいろな人がいるわけで、自分が『絶対』なわけではない。

私の嫌いな人にも価値観というものがある。

どれだけ嫌いで、軽蔑していても、その人の方が正しいときもある。

私は、軽蔑する人のことは、とことん軽蔑するタイプ。

「何言ってんだこいつ?」と思って『私はあなたのこと嫌いだし、共感したりしないからね、私は私。』と自分を貫き通してきました。

しかし、完全に自分を貫き通すことができるわけでもなく、表面的には、『あなたの味方ですよ。』というオーラを出してきました。

それは、自分は相手のことが嫌いでも、相手からは好かれていたいという欲張りと、相手に共感してあげられないことに対する罪悪感からくる、見下した、子供だましな優しさです。

でも、そんな優しさなんてほとんど意味はなく、やっぱり嫌いな人、見下している人からは嫌われたり、逆に見くびられたりしてしまう。

やっぱり、本当の意味で相手を思いやり、共存していかなければ意味がないのです。

もし、私に、人とぶつかり合ってでも自分を貫き通せるバイタリティがあれば、それでもよかったのかもしれません。

でも、私にはそれがありませんでした。

そして、そのことに今になってやっと気づきました 笑

自分の性質思想が合わなかったのです。

今まで生きづらかったのは、多分そのせい。

性質思想があまりにもかけ離れすぎていたのです。

28年生きて、ボロボロになって、やっと気づきました。

ボロボロになったから気づいた、というか、神様が気づかせてくれたのかもしれません。

今までこんなこと一度も考えたことなかったし、盲点でした。

本当に、朝起きたら、ビームを受けたかのようにいきなり閃いたのです。

神様は、『こいつそろそろヤベェな』って思ったら、何の脈絡もなくいきなり気づかせてくれるのかもしれません 笑

自分を大切にするのであれば、自分の『性質』に合わせるべき。

思想性質に負けた形になるけど、やはりここは性質に合わせるしかない。

思想は変えられるけど、性質はなかなか変えられないから。

自分を大切にしたいなら、性質に合わせるべき。

しかし、気づいたのはいいけど、どうやって相手に気を遣っていけばいいのでしょう。

今まで相手に気を遣ったり、思いやったことがなかったから、やり方がわからない。

性質も頑固だけど、28年間貫き通してきた思想もなかなか厄介。

これからいろいろ踏ん張っていかなければいけないのかもしれません。

私が馬鹿っぽくみられたり、子供っぽくみられたりして、なめられたりしたのは、気遣ったり、思いやることができない思慮のなさからかもしれません。

『こういうときは、こうしとけば、穏便にすむのにな〜』って思われていたのかもしれません。

私は、『自分を貫き通す』ってことを貫き通してきたから、人間関係をスムーズにする工夫とか抜け道に気づかなかったというよりも、気付こうとしてきませんでした。

その結果、年相応に身につけるべき、人間関係をスムーズにするスキルが身につかなかったのです。

最近は、自分よりだいぶ年下の人でも大人っぽくみえるようになってきました。

それは、自分が今までサボってきたことを私よりも頑張ってきた人たちだから。

信念を持つって大事だけど、それが自分に合わなかったり、強すぎたりすると、私みたいに大変なことになりますよ 笑

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